私たちは千葉県我孫子市にあるプロテスタントの教会です。
聖書を誤りのない神のことばと信じている教会です。
布佐キリスト教会はドイツの宣教団体「リーベンゼラ・ミッション」の宣教師によって1986年に開かれました。
千葉県に位置していますが、目の前の利根川を挟んで向こうは茨城県です。現在礼拝に参加している方々も半数が千葉県民、半数が茨城県民です。小さな子どもから、ご高齢の方々まで、60名ほどが参加しています。
以前に、千葉県と茨城県を結ぶ栄橋から命を絶つ方々がおられたことから、布佐キリスト教会が建てられました。
私たちの人生には意味があります。私たちは偶然に生まれたのではありません。神様がこの世界を造り、私たちを造られました。神様は私たちを愛して下さっています。この神様の愛を知っていただききたいのです。
布佐キリスト教会が目指しているのは、神様の愛を知り、神様の愛によって互いに愛し合うことです。そして、人生の意味を考え、人生をイキイキと歩んで行くことです。
皆様のお越しを心よりお待ちしています。

(教会から歩いて10分ほどのところにあります。)
布佐キリスト教会の歴史
1986年11月 | C・ウルマ師、G・ルオフ師就任 (興和商事KK二階会議室を集会所として借用) |
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1990年7月 | 興和商事KK二階から、二軒隣りの「ベーカリーアルル」の貸事務所に移転 |
1993年11月 | エンゲルモーア師就任 |
1997年3月 | 新会堂献堂式(現在の場所、布佐3088-1) |
1998年4月 | 上迫康二師就任 |
2011年4月 | 児玉智継師就任 |

1990年「ベーカリーアルル」の2階で礼拝
写真に見える階段を上ったドアが教会の入口でした。パン屋さんの入口は写真の左側が正面で、礼拝の終わり頃にはパンの良い香りが漂ってきていました。(お腹が空いたと感じる頃に)

エンゲルモーア師夫妻

1996年 秋田県の山1つ購入して樹木を切り出し建て始めた現在の会堂

エンゲルモーア師、C・ウルマ師と共に会堂建設の賛美と祈り

1997年3月に完成した現在の会堂
牧師紹介

児玉 智継
Tomotsugu Kodama
経歴
1982年 神奈川県小田原市生まれ
2004年 東京基督教大学卒業
2008年 株式会社 ノア退社
2011年 東京基督神学校卒業
同年4月 布佐キリスト教会 牧師就任
家族
妻と3人の子どもの5人家族
メッセージ
神奈川県小田原市に生まれました。いわゆる「クリスチャンホーム」ではなく、小学校4年生の時に友人に誘われたことをきっかけに、教会に通うようになりました。父親との不仲・和解を通して、神様に愛されていること、赦されていることが分かるようになりました。高校三年生の時に洗礼を受け、献身を志すようになりました。その後、東京基督教大学・東京基督神学校を卒業し、2011年に当教会の牧師に就任し、現在に至っています。
二年ほど前から、健康上の理由で、キックボクササイズを始めるようになりました。いつかは、試合に出てみたいと夢見ています。また、中型・大型バイクの免許を取りたいと思っています。教会の皆さんと一緒に、イエス・キリストを信じて歩んで行けることに大きな喜びを感じています。教会に来ることが、皆さんの元気の源になればいいなと思っています。ぜひお気軽に教会にお越しください!教会でお会いしましょう!
私たちの信仰告白
(聖書)
1. 聖書は、旧新約六十六巻からなり、すべて神によって霊感された、誤りのない神のことばである。聖書は、神が救いについて啓示しようとされたすべてを含み、信仰と生活の唯一絶対の規範である。
(神)
2. 神は、唯一であり、霊なるお方である。その存在、知恵、力、聖、義、愛、真実において無限、永遠、不変である。神はその本質において一つであるが、父、子、聖霊の三位において永遠に存在しておられる。
(神のみわざ)
3. 神は、その主権によって万物を創造し、支配しておられる。神は、みこころのままに、罪人を救うため、時至って御子を世に遣わされた。
(人間)
4. 神は人を神のかたちに創造された。最初の人アダムは神との正しい関係にあったが、サタンの誘惑により、神のみこころに背いて罪を犯し、堕落した。すべての人はアダムにあって罪を犯したので、生まれながら罪の性質を持っており、神の御怒りのもとにある。
(キリスト)
5. 主イエス・キリストは、まことの神であり、まことの人である。主は、聖霊によってみごもった処女マリヤから生まれ、人類の罪のために、身代わりとして十字架の上で死に、葬られ、三日目によみがえり、天に昇られた。主は今、父なる神の右に座して大祭司の務めをしておられる。
(聖霊)
6. 聖霊は、人に罪を認めさせ、新たに生まれさせて、神の子どもとされる。聖霊は、キリストを信じる者の内に住み、その人々を、この世でキリストにあって生きる者とし、キリストのかたちに形造られる。
(救い)
7. 救いは、キリストの身代わりの死を信じる者に与えられる神の恵みの賜物である。罪が赦され、義と認められた者は、滅びることなく、永遠のいのちを与えられる。
(教会)
8. 教会は、キリストをかしらとするからだであり、みことばの宣教により、聖霊によって新生した者の集まりである。教会は、神のみこころに従い、神を礼拝し、聖書を学び、バプテスマと聖餐の礼典を守り、福音を宣教し、主のしもべとして互いに仕え、福音のために共に戦い、愛のわざに励み、主の再臨を待ち望む。
(再臨と最後の審判)
9. 主イエス・キリストは、みからだをもって再び来られる。死者はからだをもってよみがえり、すべての者がさばきの前に立つ。主は信じる者を永遠の祝福に、信じない者を永遠の刑罰に、わかち定められる。主は終わりにすべてを新たにし、御国を父なる神に渡される。